小田急相模原へのアクセス |
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新宿駅まで |
急行43分 |
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大手町まで |
急行60分 |
千代田線乗換 |
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代々木上原駅まで |
急行34分 |
千代田線接続 |
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登戸駅まで |
各駅29分 |
JR南武線接続 |
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町田駅まで |
各駅6分 |
JR横浜線接続 |
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相模大野駅まで |
各駅3分 |
小田急江ノ島線接続 |
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海老名駅まで |
各駅12分 |
相鉄線接続 |
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各駅停車駅ですが、町田・相模大野より相場は安いのが特徴です。 |
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東名高速「横浜町田IC」まで・・・約9km
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圏央道「相模原相川IC」まで・・・約8km |
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東名高速・中央自動車道へのアクセス便利になりました! |
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厚木まで・・・約12km |
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空港への移動も便利、相模大野駅から羽田・成田空港行のリムジンバスが出ています |
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相模大野~羽田空港・・・1時間20分~2時間 |
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相模大野~成田空港・・・2時間10分~2時間40分 |
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詳しくはこちらへ |
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小田急相模原の概要 |
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小田急 相模原駅は相模原市南区と座間市に 位置しています。
開業当時は「相模原駅」でしたが、JR横浜線に「相模原駅」が開業したことから、「小田急 相模原駅」に改称されました。
地元では「オダサガ」と呼ばれています。
北口には国立相模原病院、北里大学病院、北里大学、女子美術大学、県立相模原公園があります。
南口には元読売巨人軍原監督の母校「東海大相模高校」、名門ゴルフ場「相模カンツリークラブ」、カレスト座間(旧日産自動車座間工場)があります。
東海大相模高校が平成27年の夏の甲子園で優勝したのは、記憶に新しいですね。
平成22年4月、相模原市は政令指定都市となりました。 |
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相模原市 |
人口 722,973人 (令和2年9月1日現在) |
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相模原市南区 |
人口 280,693人 (令和2年9月1日現在) |
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座間市 |
人口 130,733人 (令和2年10月1日現在) |
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座間市の上水道はの地下水です。(人口増加により現在15%は河川水を使用)
アルミ缶ボトルで販売されている「ざまみず」は座間市の特産品ですよ。
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お買物 |
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市街地再開発で駅ビル「ラクアル・オダサガ」「ペアナード・オダサガ」の二つの商業施設があります。 歩行用デッキがあり、雨に濡れずにお買物が楽しめます。
「ラクアル・オダサガ」内のスーパー「小田急OX」食品売場は23時まで営業しているので、帰宅時間が遅くてもでもお買物が出来ますよ。
ファミリーレストランの他に本屋「啓文堂」・「マツモトキヨシ」・「ソフトバンクショップ」があります。啓文堂では小田急ポイントカードでポイントが溜まります。
「ペアナード・オダサガ」の3階はクリニックモールになっていて、2階には処方箋薬局があります。また同じく2階には「大戸屋」「サイゼリア」「上島珈琲」等、飲食店があります。
また北口・南口どちらにも商店街があり、毎日大勢の人で賑わっています。 |
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北口 |
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国立相模原病院まで約1km続く「サウザンロード相模台商店街」 |
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南口 |
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イトーヨーカドー、南口アクト一番街商店街、相模銀座商店街、メイト相南商店街 |
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金融機関が充実 |
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都市銀行の支店&銀行ATMが揃っています。 |
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三井住友銀行 相模原支店 |
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横浜銀行 相模台支店 |
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みずほ銀行 小田急相模原支店 |
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神奈川銀行 相模台支店 |
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きらぼし銀行 相模台支店 |
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平塚信用金庫 相模台支店 |
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相模台 郵便局 |
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相模原南台郵便局 |
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相模原相南郵便局 |
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相模原松が枝 郵便局 |
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座間郵便局(本局) |
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座間相模が丘郵便局 |
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三菱東京UFJ銀行 ATM(北口・南口) |
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りそな銀行 ATM(北口) |
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みずほ銀行 ATM(北口) |
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緊急医療にも対応 |
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★3つの大きな総合病院があり、緊急医療に対応★ |
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相模原ルールの策定
相模原市では、市町村としては県内で初めて受入医療機関確保基準「相模原ルール」があります。
仕組みは救急現場から医療機関に疾病者の受入れ可否を照合した時に、速やかに搬送先が決定しない場合には、北里大学病院救命救急・災害医療センターで疾病者を一時的に受入れ、必要な処置をした後に二次応需病院へ搬送する者です。
高い水準の病院数
相模原市では、人口に対する医療施設数が充実。
例えば、人口10万人当たりの一般病院数は4.7、救急告示病院数は1.9と充実した水準にあります。
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※相模台病院へは小田急相模原駅南口より無料送迎バスが出ています(日・祝以外) |
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※駅近隣の病院・クリニックはこちら |
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緑に囲まれた総合公園 |
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★総合公園がありペットと1日過ごせます★ |
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県立相模原公園
相模原市南区下溝3277 TEL:042-778-1653 |
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噴水のあるフランス風庭園や亜熱帯を体験できる「グリーンハウス」等があり、園芸情報の発信地となっています。
公園内にはドックランがあり、ワンちゃんとも楽しく過ごせます。(会員登録必要) |
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相模原 麻溝公園
相模原市南区麻溝台2317-1 TEL:042-777-3451 |
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巨大なフィールドアスレチック、子供広場,芝生公園もある総合公園。
5月から10月にかけて230種8,000株のクレマチス、6月には200種7,400株の相模原の市の花、紫陽花が咲き誇ります。
公園内にはふれあい動物公園もあり、動物の餌やりやポニーの乗馬体験も出来ます。 |
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小田急相模原の歴史 |
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小田急 相模原駅(通称:オダサガ) |
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小田急 相模原駅は1938年(昭和13)に開業。 |
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2007年(平成19)に市街地再開発で駅ビル「ラクアル・オダサガ」が完成。 |
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続いて2013年(平成25)、県道51号線(行幸道路)の上を歩行者横断デッキで結ばれた商業施設「ペアナード・オダサガ」が完成し、二つの高層ビルが並ぶ新しい駅前に生まれ変わりました。 |
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中和田新開 開拓集落跡地(南台5丁目) |
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1880年(明治13年)頃、旧道の付中街道(県道51号線)と辰海道(座間方面へ向かう市道)が交わる辺りに数軒の開拓者達の 家がありました。 |
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その後、家数も増えて集落を結成、現在の相模台発展の原点となりました。 |
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この付近一帯は中和田新開と呼ばれていました。 |
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南台5丁目には開拓記念碑があります。 |
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この記念碑は、開拓者達の苦難のあとを後世に伝える為1919年(大正8)に建てられました。 |
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また、1927年(昭和2)様々な災いの侵入を防ぐために集落の入口に建てられた「道祖神」も同じ場所に移され祀られています。 |
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開拓記念碑 |
道祖神 |
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二宮神社(南台5丁目) |
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開拓者達の心の拠り所として小田原市にある報徳二宮神社より分霊し、1947年(昭和22)に創建されました。 |
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境内には祭神である二宮尊徳の像が建っており、初詣、七五三、例大祭など地域の氏神様として親しまれています。 |
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相模台商店街通り(サウザンロード相模台) |
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この商店街は北口駅前から国立相模原病院まで真っすぐに約1キロあることから「サウザンロード 相模台商店街」と呼ばれ、地域の人達にとって馴染みの深い買物の場となっています。 |
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商店街は藤沢から続く古道「辰街道」の一部で、途中にある「公民館」は地域活動や催し、「まちづくりセンター」市行政の窓口となっています。 |
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こちらで住民票や印鑑登録などの手続きが行えます。 |
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国立相模原病院と行幸記念碑 |
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1938年(昭和13)、臨時東京第三陸軍病院として開設。 |
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現在の広さの約4倍もの面積があり、1939年(昭和14)、天皇陛下が傷病兵を見舞った行幸記念碑があります。 |
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県道51号線は当時天皇陛下が通られたので「行幸道路」と呼ばれています。 |
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同病院の現名称は、「独立行政法人 国立病院機構 相模原病院」です。 |
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国立相模原病院 |
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さがみ仲よしこみち(畑地灌漑用水路跡) |
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1949年(昭和24)着工、相模川から畑地灌漑用水路として引かれ1964年(昭和39)完成しましたが、高度経済成長期に周辺が宅地化 され1970年(昭和45)以降、地下水路化し上を遊歩道として使われています。 |
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木々や季節の花が植えられ、散歩コースとして人気があります。 |
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相模台団地と桜並木 |
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1966年(昭和41)旧日本住宅公団が相模台団地を建設、続いて1969年(昭和44)相武台団地が建てられ住宅地として発展しました。 |
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団地内には桜並木があり、花見シーズンには穴場スポットとして楽しまれています。 |
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相模台団地 |
相武台団地 |
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麻溝台地区の養鶏場 酪農家 |
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1962年(昭和37)頃から開拓地の売却が国から許可されると、横浜や川崎の養鶏家が広大な土地を求めて次々と進出、一帯は大規模経営の養鶏用となりました。 |
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現在では市道沿いに「たまご街道」と書かれたのぼりを立てた直売所を出しています。 |
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また今でも乳牛を飼っている酪農家も数件残っています。 |
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横浜水道みち緑道(麻溝台~新磯~南台1丁目) |
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1887年(明治20)、我が国初の近代水道として敷設されました。 |
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津久井の道志川と相模川の合流点から、横浜野毛山浄水場まで44km、標高差74mを自然流下方式で現在も運んでいます。、 |
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この水道みちの上を緑道として整備し、散策路、生活道路の一部として利用されています。 |
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「相模台まち歩きマップ参照」 |